東日本大震災から2ヵ月あまり、被災地をはじめ全国の人々は不安な気持ちを払拭できずにいる。首都圏以西に住む人々は以前より落ち着きを取り戻しつつあるものの、原発事故は終息しておらず、GWをまたいでも気分が晴れない。「被災地のためにできることは何か」と前向きに考える一方、巷の情報に対して一喜一憂を続けている。3月11日以降、我々はいまだ地に足がつかず、自分自身を見失っている状態と言えまいか。その理由として、自分の気持ちや行動を客観的に見つめ直すための指針を与えてくれる専門家が、世の中に少ないことが挙げられる。今回は、日本に数えるほどしかいないと言われる災害社会学の専門家の1人、関谷直也・東洋大学准教授に話を聞いた。大震災後、我々を取り巻く環境はどう変化したのか。そして、我々がとってきた行動の意味とは何か。改めて振り返ってみよう。(聞き手/ダイヤモンド・オンライン 小尾拓也)
全国に広まる「災害ユートピア」的心理
お互いを支援することが復興への高揚感に
せきや・なおや/東洋大学社会学部 メディアコミュニケーション学科 准教授。1975年生まれ、新潟県出身。慶應義塾大学卒業(総合政策学)、東京大学大学院博士単位取得退学、修士(社会情報学)。専門は社会心理学(災害情報・環境情報の社会心理)、広告論・Public Relations論など。――東日本大震災は、日本国民の心理に大きな影響を与えた。とりわけ衝撃が大きかったのは、福島原発事故による放射能漏れ不安だ。人々は以前よりも落ち着きを取り戻したとはいえ、いまだに不安を払拭できない。今回の震災で見られた人々の心理や行動様式には、どんな特徴があるか。
東日本大震災の特徴は、最も被害が大きかった東北三県(福島、宮城、岩手)の被災者とは別に、遠く離れた地域にも不安を抱える人々が多く見られることだ。地震の規模がかつてないほど広域だったこともあり、東日本全域から果ては関西に至るまで、住民は不安を抱えている。
たとえば、深刻な被害を受けなかった首都圏でも、大地震発生直後に通信・交通インフラがマヒして、大量の帰宅困難者が出るという異常事態が発生した。そのため、首都圏に住む人々の心理は「被災者そのもの」と言える。
このことは一方で、災害社会学で言う「災害ユートピア」という状況を全国に生み出している。「災害ユートピア」とは、人々が災害後にお互いを支援し合うことで高揚感が高まる現象だ。これは本来、被災地で見られる現象だが、今回は被災地以外の地域でも広範囲に見られる。
人々は、多少生活不安があっても被災者に同情して文句を言わず、自粛を続けてきた。「私たちにできることは何なのか」「日本は今こそ1つになろう」という支援ムードは、盛り上がる一方だ。
足もとの状況は、人々の心の中で「災害ユートピア」的な気持ちと不安とが共存し、心理的なバランスを保っているように見える。
――助け合いの気持ちが強まる一方で、地震発生直後から問題視されてきたのは、根も葉もないデマによる疑心暗鬼の蔓延だ。16年前の阪神・淡路大震災時と比べれば、インターネットの発達により、個人が手に入れられる情報量は圧倒的に増えている。通常、災害後に混乱が起きる原因の多くは情報不足にあると言われるが、今回の状況は違うように見えた。これは何故なのか。
いくら情報量が増えたと言っても、実際には「今、どこで何が起きているかわからない」と情報不足を訴える人々が続出した。不安に拍車をかけたのが、むしろインターネットの発達だったという言い方もできる。
地震発生直後こそマヒしたものの、首都圏では携帯電話やインターネットなど、あらゆる情報ツールが生きており、情報のやりとりを行なうことができた。しかし、あまりにも情報量が多すぎて、人々はどれが正しい情報なのか確信が持てなかった。結果として情報不足と同じ状態に陥り、不安が募ってしまったのだろう。
災害時に高じる異様なコミュニケーション
ソーシャルメディアの「明と暗」とは?
――確かに今回の震災では、ソーシャルメディアの「明と暗」が取り沙汰された。ツイッターは、被災地の人々に緊急情報や励ましのメッセージを送るために大活躍した半面、世間の不安を募らせるデマの温床にもなったと言われる。
ソーシャルメディアに負の側面もあったことは事実だろうが、だからと言ってそればかりが目立ったとは思えない。本来、災害後に広まる流言飛語は、不安に駆られた人々が「何でもいいから情報を得たい」とお互いにコミュニケーションを活発化させることによって発生しやすくなる。
非常事態においては、あらゆる情報のやりとりが活発化するものだ。今回はその過程で、流言飛語が相対的に増えているように見えたに過ぎない。平時と比べれば、正しい情報も圧倒的に多く発信されている。
ツイッターやフェイスブックは、まさにコミュニケーションのツールなので、情報交換の舞台としてとりわけ注目が集まった。昔と比べて、ネットの情報は広がるスピードが段違いに早い。同じ情報が、一気に何百人、何千人単位で広がっていく。
さらに、一度発信された情報がいつまでもネット上に残るため、正しい情報も誤った情報もない交ぜになって、無尽蔵に蓄積されていく。このような状況が、大量の流言飛語が広まったように感じられた原因ではなかろうか。
災害時にはむしろ犯罪件数が減少する
善意があるからこそ広まる「犯罪神話」
――では、災害後にコミュニケーションが活発化し、情報量が増えることは、社会にとってよいことなのか、それとも悪いことなのだろうか。
リアルタイムで情報を得られやすいという利点は大きいが、問題もある。ある行政機関の災害対応を行なう部署においてさえも、普段なら「他愛のない噂」で片付けられる誤った情報が、正しい情報と混在しながら「現地の状況報告」として上がってきたという話を、担当者から聞いた。
そうなると行政は、情報の正誤を確認するために時間を割かなくてはいけなくなる。積み重なれば災害支援に遅れや混乱が生じる原因となるため、決して望ましいものではない。
国や地域によっては、一部の流言飛語が暴動につながるリスクもある。暴動が起きる直前に流言飛語が飛び交い、「コミュニケーションの異様な状態」が出現することは、過去の非常事態でもしばしば確認されている。
むろん、非常時に暴動が起きる国は、もともと暴動が起きやすい国である場合がほとんどだ。現在の日本で暴動が起きることは考えにくい。ただし、今回「被災地で外国人の窃盗が横行している」という噂が流れたことについては、不安を感じた。
日本で1923年に発生した関東大震災では、連行されてきた朝鮮人の方々についていわれなき流言が跋扈し、在日朝鮮人が多く虐殺された。この因果関係には議論があるが、流言が広まったことと虐殺事件があったことは事実だ。そのため、このような噂は単なる「流言」と片付けてはならず、きちんと否定していかなくてはならない。
こういった噂は、多くの場合杞憂であることが多い。災害時に人々が持つ信念(ただし、それは本当のことではない)という意味で、「災害神話」(ディザスター・ミス)という言葉がある。その1つに「犯罪神話」という言葉があるが、これは「非常時には犯罪が増える」と人々が思い込んでしまうことを表す災害社会学の概念だ。
阪神・淡路大震災や能登半島地震のときは、被災地の犯罪件数がぐんと減っている。むろん、被災地であっても一定割合の犯罪は起きるものだが、災害後に犯罪は減るのが一般的である。
考えてみれば、それは当然だ。地震発生直後は交通網が寸断されていて、支援・救援を行なう人々でさえ現地にたどり着けない状況だった。被災地近辺の人々に限定して考えてみても、震災がなければ犯罪を起こしていたかもしれない人々を仮定すれば、彼らも被災している。そんな状況で、灯りもない真夜中に、被災した家屋付近に転がるサイフや通帳を探して盗む余裕がある人が増えるとは、到底思えない。普段から犯罪は発生しているので、犯罪が少数発生するのは間違いないが、決して増えているわけではないということだ。
この手の噂は、もともと「そういう可能性もあるから気をつけよう」という善意のメッセージが基になっている場合が多く、それが事実と誤認されて広まってしまう側面も大きい。今回は、「千葉県の製油所で火災が起きて、有害な雨が降る」という噂が波紋を広げたが、これも「気をつけなさい」という善意のメッセージと読むことができる。
人を慮ったゆえのメッセージだからこそ伝播し易く、尾ひれもつきやすいため、抑制力が働きにくいことには、注意が必要だ。
そもそも情報を隠す余裕さえなかった?
政府・東電に募った「疑心暗鬼」の正体
――善意であれ悪意であれ、何故非常時にはデマが発生するのだろうか?
非常時には、予想もつかないような流言飛語が流れることがある。しかし、真偽のほどは誰にもわからないし、そもそも話の真偽はあまり重要ではないとも言える。
流言飛語は、エピソードそのものよりも、実はその裏に込められたメッセージのほうが重要な意味を持つ。非常時の流言飛語は、伝える側もそれを聞く側も、お互いがその気持ちを暗黙のうちに了解しているからこそ、噂が瞬く間に広まっていくのだ。
――情報が過度に広まることには注意が必要だとしても、反対に情報が不足すると、かえって不安が募ることになりかねない。今回の放射能汚染については、政府や東京電力の発表に「具体性がない」「何か隠し事をしているのではないか」と、人々の疑心暗鬼が募った。
国によっては、災害が起きると治安維持のために政府が情報を止めようとするケースもある。こういったケースでは、人の口づてに流言飛語や疑心暗鬼が広がりやすいが、現在の日本のケースはそれと明らかに違う。
冷静に考えると、これほど想定外の事態が続けば、当事者たちにとっても「今、何が起きているのか」「どう対応したらよいのか」を把握・検討することが、通常の災害時よりも難しいはずだ。そもそも情報を隠す余裕さえないのではないか。
だからこそ、何回会見が開かれても確定的な情報がわからないことが多かった。その状況が、「何か隠しているのではないか」という疑心暗鬼を生んだのだと思う。
「災害ユートピア」状態の日本に
なぜ疑心暗鬼が根強く残るのか
――今回の震災では、非常時においても規律を守り、お互いを思い遣る日本人の姿が、海外から称賛された。「災害ユートピア」的な心理が強いと思われる日本において、疑心暗鬼による風評被害が解消しない状況は、相反しているようにも思える。こうした状況は、災害後に見られる一般的な傾向なのか?
「災害ユートピア」は、そもそも米国を発祥とする概念であり、日本特有のトレンドではない。それは、強い不安を抱える人々が心のバランスを保つための心理であり、普遍的なものだ。
被災者の場合は、この時期が過ぎると、今度は住居や仕事、生活の問題に直面していくことになる。また、単に心理的な「被災者」になっている普通の生活を営んでいる人々は、この揺り戻しの時期が過ぎれば、心理的には元の状態に戻っていくと思われる。世の中の状況は、「心理的には」徐々に安定に向かっていくはずだ。
――原発事故の先行きがちゃんと見えてからでないと、やはり混乱は完全に終息しないだろうか。放射能不安については、国内ばかりでなく海外からの不信感も根強い。外国人の心理的な不安をどうやって取り除くかも、重要な課題となる。
近い将来、この混乱が終息に向かうか否かは、まさに原発の行方にかかっていると思う。政府主導で原発処理の道筋が早く付けられ、東北地方の復興を進めることが、人々の不安を解消するための最大の近道に他ならない。「原子力緊急事態解除宣言」が出ない限りは、海外にも国内にも本格的な「復興」への道筋が見えない。
早く道筋をつけることは、日本に不信感を抱く外国人を呼び戻すためにも重要だ。現在、多くの外資系企業は日本から人員を引き揚げており、日本を訪れる外国人観光客も激減している。日本から輸入された工業製品が放射能に汚染されていないか、チェックを厳格化する国まで出始めた。
放射性物質の飛散が考えられない土地の産品、工業製品については、科学的に安全と言えるものなので、できるだけ簡易に証明書を発行するなど、それに応じた措置が必要だ。同時に科学的、合理的な安全を伝え、説明していくことが重要である。
国内の心理状態が安定しても残る課題
海外から見た福島リスクは「日本リスク」
ただ、量の問題ではあるが、放射性物質が飛散している地域もある。日本人が肝に銘じるべきことは、「福島が収まらない限り、日本のイメージは決して改善されない」ということだ。
外国人は今回の騒動を、福島だけの問題ではなく「日本全体の問題」と見ている。被災地のみならず、計画停電や買い占めという問題をメディアで知ったことで、東京も「被災地」と見られている。また、東京は地震のリスクも抱えている。彼らは、「日本に行くと自分たちも同じ目に遭う可能性がある」という不安を抱えているのだ。
復興が早く進めば、「やはり日本は大丈夫だ」という安全性のメッセージになるが、被災地がいつまでも今の姿のままだと、ゆくゆく日本の地震・原発リスクは、中国における政情の不確実性を指すチャイナリスクや、韓国の持つ戦争リスクと比べて、「東アジアの中でどれが安全か」というレベルで論じられるようになってしまうだろう。そうなると、日本のブランドは失墜してしまう。
――ところで足もとでは、「日本はこれほど原発に依存しているのに、そのリスクがあまり議論されてこなかったのは何故か」という声が噴出している。世論に押される形で、浜岡原発(静岡県)の運転見直しも決まった。実際、原発リスクはこれまでも度々指摘されてきたが、今ほど議論が盛り上がることはなかったように思う。日本が世界で唯一の被曝国であることを考えても、日本人の心理はある意味不思議だ。
そのことは、原発に対して国民が抱いてきた「イメージ」によるところも大きい。実は、原発事故が相次ぐ1980年代に入るまで、原子力は「安全である」というイメージが強かった。1981年に起きた敦賀原子力発電所の事故(排水溝から放射性物質が海中に漏浸)以降、だんだんと悪いイメージが強まっていったが、原子力発電反対の声が大勢を占めるようにはならなかった。
それまでにも、1954年に日本のマグロ漁船「第五福龍丸」が、ビキニ環境で行なわれた米国の水爆実験で被曝したことを受け、風評被害で魚の消費量が落ち込み、核反対運動が盛り上がったことはあった。しかし、1957年に茨城県東海村で日本初の原子力発電が始まった当初は、「夢のエネルギー」として好意的な世論も多かった。
必ずしも日本人=原子力アレルギーではない
「安全神話」の意味を改めて問い直すべき
日本人には、広島や長崎が原爆で甚大な被害を被ったことによる「原子力アレルギー」があると短絡的に指摘されることがあるが、日本人の原子力に対する意識は、そう単純ではない。
『原爆の子』を編んだ長田新は、広島に原発を誘致し、原子力の光の部分を享受すべきだと言っていた。放射能で巨大化した怪獣『ゴジラ』のように、放射能の恐怖を表す映画がある一方、小型原子炉で駆動するロボット『鉄腕アトム』のように、原子力のポジティブなイメージを表現したアニメもある。両方の感情が存在したのだ。
リスク意識が強まった敦賀原発事故の2年前には、米国スリーマイル原発事故が起きていたが、敦賀までの2年間には大飯原発の点検などが行なわれており、政府の世論調査などを見ても「日本の原子力発電は安全だ」という意識は変わらなかった。
また、日本で原発リスクが本格的に認識され始めたのは、「チェルノブイリ原発事故がきっかけ」という話が定説になっているが、チェルノブイリは原発リスクが広まる過程での単なる通過点でしかなかった。
1990年代後半以後、多くの原子力関連の事故が発生し、原発リスクに気づく機会は多くあったが、それでも我々が社会として原子力発電を黙認、容認してきたことは事実である。我々も「原子力安全神話」の形成に加担してきたと言える。そのことの意味は、検証されなければならないだろう。
菖蒲田漁港を右手に抜けると菖蒲田海水浴場になる。仙台市内から車で約30分という近さの菖蒲田海水浴場は、海開き前に砂利の整地とゴミ拾いを徹底し、加えて波が静かで水もきれいな遠浅の海岸は、大勢の海水浴客で賑わいを見せる。海水浴場の開設は、明治21年と古く、歴史のある海水浴場で、仙台でも有数の海水浴場である。菖蒲田業港周辺同様ここも大きな被害を受けていた。きれいな砂浜には、ゴミどころか、大きなコンテナがゴロゴロ転がっているのだ。










崩れた街並みを見ると、大半の家にブロック塀がある。後方(少し高台)にある家の前には倒れずに残っている。もちろん漁港の前には防波堤があり、漁港と道路の間には2m近い堤防もある。もちろん、ここに建てられた家もそうだが、津波にとっての遮蔽物が色々とあるのである。その結果、遮蔽物が少ない道路などを通って迂回するように回った痕跡が見える。それと、建物の後ろにそうした遮蔽物があることも力を分散させる効果があるようだ。漁港内の倉庫は、直接津波を受けているはずだが、倒壊していない。もちろん建物の構造の問題もあるが、すぐ後ろ1mほどのところにある堤防の効果もあったと思われる。そのまま流れることが出来ないことで、力が分散されたのではないかと思われる。また、小さな丘で海岸からの距離も50mほどしかないにも関わらず、大きな被害を避けられたところと、ほぼ壊滅した漁港前の住宅地。この50mが分けた大きな差をより明確にしてくれたのが、菖蒲田海水浴場である。
























